今から思うと、私にとっての思い出補正というものが、どの程度働いていたのか。
それがはっきりしないので、よくわからないのだと思う。
あやめ氏が実在していた、ということは過去の資料からわかるが…。
人間の感情というものは、資料として残しづらい。事実というものは残せても、感情はなかなか難しい。
それゆえ、憎しみを都合よく忘れたりもしている。
これは本当にいけないことだと思っている。
結局、私の人生がめちゃくちゃになっただけで、誰のせいなのか、どんな出来事のせいだったのか、ということがうやむやになったまま、ということになっている。
再検証する作業が必要になろう。
何かを表現することで訴えていきたいけれども…。
もう、彼女は夢にも出てこなくなった。あるいは、私が忘れているのか。
そんな8月1日未明。
ばずったーで「あやめ」がバズっているのは、何か私への何らかのメッセージなのかも知れない、とか、そんな事を思ったりしている。(デレマスですか)
2015年08月01日
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